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2年に一度の章会、その日まであと3週間を残すばかりになりました。 この日を迎えるために、出演者 皆が精一杯、最後のお稽古に励んでいます。 そんな私も今回「連獅子」の仔獅子を踊らせていただきます。 国立の大劇場、この大きな舞台に負けないように、 若々しく元気な仔獅子を踊ることができたら、と思っています。 連獅子は、その名のとおり狂言師の親子で踊ります。 私は組み物が大好きです。一人よりも複数のほうが、舞台上でのエネルギーが 2倍にも3倍にもなって、豊かな力を感じられるから…です。 …と言えるのは、自分が見る立場の時。 いざ、自分が踊る立場になると、力を増幅させることの大変さを思い知らされます。 自分のことで精一杯になってしまい、相手を見る余裕がなくなってしまうのです。 見るどころか、無視してしまったり…それではエネルギーが増すはずはなく ちっとも余裕のない自分への反省が増すばかり。 そんなとき、「息」を意識していない自分に気がつくときがあります。 相手の呼吸を感じること、「息」は、地方さんやお囃子さんの音、 掛け声、すべてに通じているものです。 それを感じるために、緊張感を維持することがとても難しく、でもとても大切なこと。 そして、その息が合ったと思った瞬間、「この間だ!」という時、 それはそれは、たとえようもなく心地よいものなのです。 (平成16年4月13日 管理人 こと 狂言師左近) 陽春公演では「女形」がテーマでした。 男性が女を演じる、その姿を作り上げる過程で女を演じる気持ちになる、 その解説が記憶に新しいところです。 私は今回、連獅子で狂言師親子後に獅子の精を踊りますが、 獅子は男性、この場合と逆に女が男を演じる、ということになります。 (注:筆者は女性) 日本のきもの、男性と女性では形が異なります。 女性は帯の幅が広く位置も胸元にかかるような高い位置に締めています。 それと比べて男性の帯は、幅は女性の半分以下。位置も腰骨の位置と低いです。 体の中で一番「拘束」される部分が男性と女性で異なっています。 そして、その位置が拘束されることで、不思議なことに、いわゆる 「女性らしいしぐさ」「男性らしい動き」が自然にでてくるような気がします。 女性の着物を着ていて男性の踊りを踊るときと、男性のきもので、 しかも袴をつけていると、自分の体の動きが全く異なってくるのがわかります。 歴史的にはこのような形になったのは江戸時代以降。 意外と新しいのですが… 歌舞伎や日本舞踊というものが江戸時代に現在の基礎ができた、ということと 衣服の形がその頃に固まったということは、関連があることのような気がします。 現在の日本のきもの、ほぼ、その頃と同じ形をしています。 今度きものを着てみたときに、そんなことを思い出してみてください。 (平成16年4月20日 管理人 こと 狂言師左近) 日記、と名づけていながら・・・ 盛況のうちに章会の幕を閉じて早くも3週間がたちました。 舞台というのは本当にたくさんの人の手によって成り立っています。 (5月25日のメルマガを見てください。舞台裏ではてんてこまい、なのです) 舞台上で見ることができるのは、日本舞踊の公演ならば 踊り手と演奏家の姿くらいでしょうか? でも、それを作るために本当にたくさんの人の手をかけているのです。 プログラムの最後を見ると、スタッフの方々が紹介されていますが、 スタッフの力、そこにのらない多くの人々の支えやエネルギー、 そして、その熱気が伝わるから、舞台は魅力があるのだと思います。 (平成16年5月24日 管理人 こと 狂言師左近) 章会 プログラムは ここをクリック |